チョン·ミョンソク牧師のセノレ「栄光の脱出」はこうして誕生した

万物が冬眠から目覚める時期に合わせて今年も迎えるキリスト教福音宣教会の「命の日」節気。

特に今年2025年の命の日は、引き上げ10周年、命の日80周年という意味のある時でもあります。
この間、チョン·ミョンソク総会長牧師と宣教会に向かい注がれたさまざまな誤解と非難にもかかわらず、いつにも増して多くの人波が月明洞自然聖殿に訪れるものと見られます。
新しい時代の御言葉のラッパの音は絶えず、多くの人々の胸の中に神様の新しい歴史に対する確信と心霊の火が燃えているからです。

昨年の命の日の行事で宣教会の歴史、前半期によく歌われた賛美曲「エデンからの歴史(旧摂理校歌)」を久しぶりに歌ったのを覚えていますか?
今年の行事でもまた別の久しぶりに歌う賛美曲を歌いながら、心霊を一つに集める時間があります。「栄光の脱出」です。

2000年代以降に宣教会に来た世代には馴染みがないか、2世たちの記憶にぼんやりと残っているであろう曲「栄光の脱出」。
どうせなら、誕生の背景と歌詞の各小節に込められた意味を知って賛美したら、感動が倍増することでしょう。

「栄光の脱出」はいつ、どのように誕生したのか?

1987年、ソウルのポラメ公園では毎朝、チョン·ミョンソク牧師が弟子たち200人余りと一緒にジョギングしながら心身を鍛えた思い出深い時代がありました。 「栄光の脱出」はこの時期に誕生した曲です。

ある日の朝、弟子たちが先に来て待っているところに、チョン·ミョンソク牧師が後ろから堤を越えて入ってきました。 弟子たちはこのことに気づかず、前だけを見て待っていましたが、チョン·ミョンソク牧師にはその姿があたかも再び来られるイエス様を待っているキリスト教徒の姿のように見えました。ここで受けたひらめく霊感で、チョン·ミョンソク牧師は堤を越えてきて、5歩ほど歩いた瞬間に歌を完成させました。

「栄光の脱出」の歌詞に込められた意味は?

チョン·ミョンソク牧師が聖三位とイエス様の感動で作詞したセノレ賛美曲には宣教会の核心教理が込められています。 イエス様はチョン·ミョンソク牧師に「歌を一度歌う度に教理を一度学んだことになる」とセノレの賛美曲を作るようにさせました。セノレを歌ったら誰でも教理を簡単に覚えられるだけでなく、賛美する度に御言葉を認めることになるのです。

それでは「栄光の脱出」の歌詞にはどんな御言葉が込められているのでしょうか?

1.泣けば 主が来るだろうか
涙し待っている 悲しい既成
新しい歴史の御言葉聞き 待つならば
地上から歩いて来る 主の姿

(直訳)

今日、既存の信仰観を持つ人々は<使徒行伝1:11>の「天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」という御言葉の通り、イエス様が天から雲に乗って来られることを涙で待っています。
しかし、来られる方は霊です。昔も今も、神様が遣わした人はすべて地上から来ました。旧約時代にも神様が来て行うおっしゃり、霊が来てモーセや預言者たちを通して行われ、再び来ると約束したエリヤは洗礼ヨハネという他の人を通して現れ、イエス様は2000年間その時代ごとに肉体を持った人たちを通して救い歴史を行いました。

このように霊は地上の人を使って現れるけれど、多くの信仰者が残念ながら天だけを見あげて待っているのです。ここから抜け出し、新しい歴史の御言葉を聞いて神様がこの時代に予定された御心を成すことが私たちの希望です。

2.信じて 死者が生き返るか
気をもみ待っている 既成の信仰
新しい歴史の御言葉聞き ついてくるなら
暗闇から生き返る 復活の霊

(直訳)

キリスト教は<コリント人への第1の手紙15:52>「ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである」という御言葉に基づいてイエス様が再臨すれば、死者が復活すると信じています。

しかし、死んだ死体がよみがえる復活は永遠に成されません。墓が開けて死体が生き返るということは文字通り墓から生き返るという意味ではありません。 まさに霊的な復活を文学的にすっきりと表現したものです。

暗闇から戻ってくるのが復活の人生です。肉体の復活ではなく、心霊の復活、精神的な復活、行動的な復活、霊的な復活、新時代の御言葉を学び、次元の高い新しい時代に移る復活、死亡圏から生命圏に来る復活を復活と見るのです。

依然として多くの人々が死者が墓からよみがえるという文字信仰から「栄光の脱出」をできずにいます。
復活の真の意味を悟った私たちは、知らずにいる彼らに急いで真理の御言葉を伝えなければなりません。

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